ぱむすけライブラリー

どくしょにっき

東浩紀(2019)「東浩紀がいま考えていることーー『テーマパーク化する地球』刊行記念」

東浩紀の発言のうち、気になったものを私の主観でまとめた形を載せる。

「哲学は概念の発明だ」 by ドゥルーズガタリ
引用と参考文献の世界ではなにも言えない。発明なんてできない。
デモに行くときは発明なんていらない。発明の場所はなくなってしまった。

文章には飛躍が必要。その飛躍を人々に受け入れさせるにはどうしたらいいか。
「実際にそこに行ってみた」に人々は弱い。

いまみると、周辺(ゲンロンβ)に押しやったもののほうが魅力的

観客的公共性/観光客的公共性
能動的な観客をどうしたら作れるか、そこから立ち上がる二次創作的公共性

固有名は定義に分解できないから謎めいている
人文科学は固有名詞でできているが、自然科学は普通名詞でできている
多くの言葉(「正義」や「法」も)は定義できていない。また、定義が変わっていく
遡行的に定義が変わることがあるのが固有名の謎

ジェンダー」や「ハラスメント」の定義が遡行的に変わり、これまでハラスメントではなかったものがハラスメントになっていく
集団も同様に、フットサルサークルがアニメサークルになっていくこともありうる
メンバーシップが遡行的にゆるゆる変わっていくという特徴がないと集団は続かない

アレクサンダー大王の定義をいくら積み重ねてもアレクサンダー大王にはたどり着けない
固有名には定義に回収できない謎のXがあるという否定神学的固有名の議論がある
一方で東は郵便的固有名として「訂正可能性」だけがあると主張する
我々は常に間違うから、それを訂正するプロセスで遡行的に定義を変え続ける
これが人間の言語に対する根本的な態度

これを集団の話に応用すると、「集団としての根拠のない集団が一番力がある」(《反安倍》で連帯する野党)という否定神学的集団がまずある
これに対して、固有名論は集団論に応用可能なので、「訂正可能性に基づいて固有名をつくるように広がる集団」が考えられないか

このメンバーシップを修正しながら広がっていくような集団を家族の拡張性と類比させて「家族的」と呼びたい
郵便的集団は家族的類似性によって拡張する

共通の祖先をオリジナルと考えると、私達(親のコピー)は二次創作軍団のようなもの
しかし東は、全員オリジナルだと言いたい
二次創作的な議論を入れるとオリジナルとコピーの関係を変えられる
コピーであることをもっとポジティブに作り変える思想を作りたい

経験的超越論的二重制(オブジェクトレベルとメタレベルの二重性を持つのが人間)
「お前の意見には反対だが(オブジェクレベル)、お前がそうに言う自由は認めよう(メタレベル)」
この「人間」はメディア環境と結びついていて、インターネットの出現によって人間はオブジェクトレベルだけの存在(経験的存在)になった

統計の予測(統計的に見てこの地域には2000人反政府活動家がいる)に実際の人を合わせるためにスターリニズムでは虐殺が起きた
数字でしかないので、この加害には意味がない
意味のない加害は記憶されないが、被害者は意味を探したがる
しかし、意味を見つけると、本当の残酷さ(無意味)は消えてしまう

感想はいずれ追記したい。